明日の朝

また明日がやってくる。

あれから6月24日は後悔してばかり

3回目の6月24日。


あの時もっと話をしていたら、学生時代に母に反抗的に 何も教わることなんてない!と言い切って結局、謝れなかった


なんでもっと素直に言えなかったんだろう

逝かないで欲しかった。延命措置してれば今頃元気にしていたのかな?私達は間違った選択をしてないよね


なんて綺麗事かな



昨日は実家

実家に帰って墓参り。上の娘はばあばネンネしてるの?と遺骨の入っている扉を指差した


今日の幼稚園の帰りは何を思ったのか ママのお母さん?と突然言い出した


子供は無邪気に現実を見ていて時に残酷にすら思えてしまう…でも、忘れないでね。ばあばは孫達が心配で大切で大好きでいたんだよ

思い出す

思い出す事も思い出せない事もたくさんあるけど、まだ私の人生の中で生きている母親との時間の方が明らかに多いから死んでしまって居ないという哀しみが癒えず


そして、いずれ私も母親と同じように突然居なくなってしまったらと思うと旦那にも子供たちにも沢山言いたい事伝えたい事がある。


きっと母さんもそう思って居たんじゃないかな


強がりで、でも寂しがりや

冗談でも本気でも父親には私より先にいかないでよ!と言っていた

本当に父より先にいってしまった


6月30日永眠

どうか、安らかに眠ってね




2年前の今日

2年前の今日は母さんがまだ元気な時でした。と言ってもこの日は頭痛が酷く部屋で休んでいたそうです。私は嫁いでいたので後から聞いた話


それでもまだ話は出来た

2年前の明日の朝には母さんは倒れて一週間保たずにずっと覚めないまま言葉を交わさずに逝ってしまった


母さんが亡くなってから気付いた、母さんが亡くなる前の出来事

まずは私が子供を妊娠した時、母さんに報告すると なぜか妹にちゃんと手伝って貰うんだよ!ってメール。母さんは手伝ってくれないの?と思ったまま返信を止めてしまった


倒れる3週間前

珍しく母さんが泊まりに来たがっていた。しかし、旦那の法事があって泊まれなかった。


1週間前

母さんが父さんと妹と一緒に来て買い物を手伝ってくれた。いつもは重いものは父さんに任せていたのに積極的に荷物持ってくれたり、買い物しながら料理のアドバイス(簡単に作れるもの)してくれたり、買い物したものを詰める事全部してくれていた母さんの顔がすごく暖かくて光が後ろから差していて眩しい感覚があった


成り行きは分からないけど父さんが、帰り際に玄関先で私の娘を母さんが抱っこしている写真を撮った。最後の母さんと娘の写真


上の子の時と比べて世話焼きしていた印象が強い


あの時に戻れたらと思うのと、あの時に戻っても変えられないし、あの苦しみはもう味わいたくない


まだまだ傷は癒えないけど…少しずつ…


まとまりのない文にも関わらず見てくださった方ありがとうございます。




ちぐはぐの記憶

病院から無言の帰宅をした母さん


震えながらさっきまで管が通っていた頭を撫でるとすでに冷たくて、入院中から私がみんなに来てくれる時に癖っ毛もバリカンで剃られた頭も見られると身なりを気にしていた母さんは恥ずかしがるかなと付けたバーバリーのバンダナを少し整えてあげて、可愛くできたよ頭の管取れて良かったねと話した。

返事は無いけれど…


葬儀の話も誰のお葬式だか時々分からなくなっていた


遺影は身バレしそうな内容だけど母さんが身なりをキチンとしてて私と微笑んでいる写真


遺影になるなんて思ってもいなかった


葬儀中も覚えているのは、母さんとの本当に最後の別れ。そして、棺と共に荼毘に入っていく所で  嫌だ、燃やさないでと倒れてしまった。

幸い、旦那も心配していた所だったのでお腹をぶつける事も無く施設の人から車椅子を借りた


暖かな骨壺を抱いた時はそれが母親だと思いたく無い自分がいた







おやすみなさい

6日目

自発呼吸なし、髄液も出ず

心拍もどんどん落ちていく…

落ちて落ちて…落ちて


おち、て…止まる


ピーーー


ドラマみたいな状況がリアル感増して、幽体離脱してみてるみたいだった


家族が母さん、母さん!と何度も叫んで、父さんは名前を叫ぶ


ぴ、ぴっ…ぴっ…


再び母さんが戻ってきた時は、父さんは喜んだ


それも束の間


私は思春期に母さんに反抗的だった時に、母さんから何も教えてもらうことなんかない!と言ってしまった事、母さんも忘れてなかった事…全力で謝った。これから沢山育児の事を教えてもらいたかった。子供達をもっと見て褒めてもらいたかった。

これから待つ二人目の出産を頑張る、思春期の入院期間の看病を感謝、まだまだこれから親のありがたみを知って親孝行したかった後悔、もっともっと言いたいことも聞きたいこともあったけど時間が足りなかった


足りなさ過ぎた


途中、看護師さんが音を消していた

モニターは真っ直ぐな線が伸びていた




ー母さん、ありがとう。




その後は看護師さんが管などの処置をして、私と叔母さん達と3人で頭や体を洗ってあげて、化粧して綺麗にした


私は母さんと一緒に家に帰った。

静かな帰宅

母さんの人形みたい






お疲れ様、ありがとう

5日目

今夜が山…

全く排泄もない。点滴もずっとしてるのに…こうなったらもう体は機能してない。

顔もぱんぱん。


まだ私の中で他人事のようになっていて夢なら早く覚めてと遠い私が願ってるような気が遠くなるような気持ちでいたのを覚えていて、この日の夜はICUの中で家族が母さんを囲んで過ごした。母さんが何かのためにと入っていた医療保険と病院からの意向のおかげで大部屋個室を貸していただけたので出来たこと…


ずっと母さんの隣にいた。でも私はまだつわりが落ち着いたばかりだったし、寝不足や貧血で無意識に無理をしてしまっていたのか夜中3時頃には気持ち悪さで母さんが見えるところで横にさせてもらった。目を閉じそうになったけど呼吸してる母さんを見ていたくて明け方の診察まで起きていた。個室から出た瞬間に私はトイレに駆け込んだ時は流石にお腹の子に申し訳ない気持ちになった


ついに6日目の朝になってしまった