夢…生きた心地が

2日目の朝は私も妹もかなりの寝不足

タクシーで向かう


父親のラインの返信が数分遅れると電話がなり、怒鳴られるほどピリピリ


髄液が出し切れずに脳幹に刺激して深夜緊急手術

水頭症を発症し、ドレナージ


昨日の母親が朝には頭から管を通してる

そんな衝撃な光景はかなりのものでした


その日、父が着替えをすると家に戻るため私も妹と戻る


母のタンスから気に入っていただろう、バンダナを取り出して病院に戻ると看護師さんに付けて貰った


くせっ毛を気にしてたけどオシャレさんな母が部分的ではあれ髪の毛を剃られガーゼから覗く管はお見舞いに来てくれた人には会わせられない、本当はカワイイ母さんを見て欲しいと父が溢していた言葉


バンダナで少しはいつもの母さんに見えるかな


この日は旦那の運転で一度自宅へ戻り、次の日の妊婦健診が終わったらまた病院へ




1日が長い…

移動して、しばらくすると看護師さんに呼ばれ何人かに分かれてICUの中へ入った。


私は長女をおばさん達に見ててもらい、父と兄弟全員で母の元へ…


手を洗い、看護師のお兄ちゃんからは妊婦の私にマスクをするように言ってくれ、二つ目のドアを開けると看護師さん達のカウンターを囲うようにガラス張りの個室が並び、カーテンで仕切られたベッドには母が横たわっていた


人口呼吸器と心拍数のモニター音が鳴り響き、時々ドラマで聞くような不安を煽る音が鳴る


母さんと呼びかけても反応はなく、眠る母の手を握り、後から入ってきた医師が説明をする


首の付け根辺りの血管が破裂し、髄液が増え脳神経を圧迫し、脳が腫れ上がり、手の施しようがない為、今は髄液を出しながら脳を休ませる為に眠らせてる


このままうまく腫れが収まり、止血などの手術をしても最低でも障害は残る

ただ現状脳が耐えきれず3日持つかどうか


簡潔に絶望だった


それでも1%でも可能性があるならと戻ってきて欲しいとずっと思ってた

先生から父にもしも容体が急変し、延命を続けるかの同意書を渡された。それは父一人には荷が重たく、父と兄弟全員、母の兄弟みんなの意見をまとめ、延命をしない(母を傷付けない)選択と家族が揃うまでの延命処置(心臓マッサージ)を選択した


その同意書を父が先生に渡しに行く間かなり泣いた。娘を抱き上げて顔を埋めながら


おばさん達が背中をさすってくれてたのも覚えてる


気が付けば夜9時を過ぎていた

母さんにまた明日ねと声をかけて、お兄ちゃんが実家まで送ってくれた。みんながいる間は私は極力運転をするなと念押しされてしまった事にもどかしかった

でもお兄ちゃんは後悔はするなとも言った


旦那の家族が来てくれて娘を見ててもらえる事になったので、迎えに来てもらった

私は妹と二人実家で待機…

ただならぬ雰囲気

病院に着くと妹が一階の出入り口まで出迎えてくれた


まだ処置しててみんな待ってる

待合室に行くと静まり返った部屋に親族が集まってた。大家族なので親近者だけでも大所帯…俯き落胆した面持ちで一瞬たじろいでしまう


テーブルの上に置かれた書類に目を通すと難しい事がたくさん書かれていて、辛うじてくも膜下出血カテーテルは分かった

それでもくも膜下出血をその時はテレビで聞く、手術すれば治るものだと思ってた


それ程重く受け止めて無かったからなのかむしろ熱中症じゃなかったのか…と


昼前に着いてさらに4時間5時間…ようやく終わり病室、ではなくICUに移動した




楽観視


携帯を見ると、実家の父親と妹からラインが入っていた。


母さんが倒れた

電話に出て

救急車に運ばれた


数件の着信とトークが入ってて、何事かと思った。父親に電話しても出ない、妹に電話したら落ち着かない声で


「母さんが倒れた、朝庭先で倒れて痙攣して吐いてた。昨日頭が痛いって調子悪そうだった!」


倒れたことに驚いた。でも早朝激しい雷雨で元々偏頭痛持ちの母親の事だから気圧と初夏の気候で熱中症だろうとその時はそう思ってた


今は処置してて現状まだ分からないと言ってたので支度したら向かう、何かまたわかったら連絡してと電話を切った


すぐに退院するにしてもきっと家事はさせられないから泊まるつもりで荷物をまとめようと支度を始め、旦那にも事情を話すと快く承諾してくれたので搬送先の病院へ…




いつもの日常、崩れた瞬間

2016年06月25日


私は一歳の娘、妊娠3ヶ月の母親。同じ年の旦那と3人暮らし。2ヶ月前に今のアパートに引っ越してきた


だいぶ部屋の片付けも、一人目ほどでは無かったつわりも落ち着いてきた日曜日の朝


飲食店勤務の旦那はこの後出勤するので朝ごはんを作ろうとゆっくり起き上がり携帯を見た瞬間から私の非日常が始まる